diary 2003.03a



■2003.03.01 土

 沖縄最高だった、と母からのメール。昨日帰ってきていたらしい。良かった。1日遅れていたら今日の航空管制システム障害で大変な事態に巻き込まれていただろう。
 メールには加えて「お土産送っておいたから」と書いてあった。夕方の配達時間指定だったので部屋にいると、指定時間どおりにクロネコヤマトがやってきた。母の土産物選択のセンスからいうとゴーヤが2・3本ゴロンと入っていたりしそうで怖かったのだが、さすがにそれは無かった。「ゴーヤチップス」なるものは入っていたが。
 母の土産物の中には必ずといっていいほど、どうしていいか判らないような「何か」が含まれている。過去の例からいうと「イナゴの佃煮」だとか「蜂の仔の缶詰」だとか。それも「あんたこういうの好きそうだから」という理由でだ。でもまぁ、確かに虫は平気ではあるけれど、食べるのが好きという訳では無い。何か違う。
 入っていたのはおつまみ系の食べ物ばかりだったのだが、その中にひと袋の「黒糖」があった。袋の中には小石みたいなのがゴロゴロと入っている。…でも、これを俺にどうしろと? そう打って、荷物届いた報告を兼ねてメールを送り返すと、夜になって返信がきた。「それそのままガリガリ食べるんだよ」と。なーんだそうなのか…って、そういうものなのだろうか。と思いつつも、言われたとおり黒糖をガリガリ。歯が減りそう。
 かの地とこの地の気温の差は30度あったそうだ。南国には無条件に憧れてしまう。


■2003.03.02 日

 新聞の朝刊には昨日執り行われた公立高校の卒業式の記事。ここ何年間か、高校の卒業式の話題というと常に「国旗掲揚・国歌斉唱」をどう扱うかを巡る教員・父母らの騒動の話題とセットだったけれど、今年はどの学校も整斉と執り行われたよう。今はそれをやらないと処分されるんだったか。去年はどこだかの高校で、式でのそれの扱いを巡って生徒と教職員が対立し、生徒が弁護士会に人権侵害だと申し立てた、というのもあって、それはそれで興味深かったのだが。
 図式はいつも同じで、主役である卒業生や生徒とは関係ないところで、教職員同士、または教職員と生徒の父母の間で、式での国旗・国歌の扱いを巡って繰り広げられるドタバタ劇。国旗をどこに掲げるか。壇上に決まっている。壇の下にしろ。いや、国旗なんて飾るな。強行したら引き摺り下ろすぞ、と、例年そんな感じだった。
 でも、いつも思っていたのだが、子供の式典に際して大人たちがそんな「国旗の居場所」などを巡って争うのは筋違いで。国旗や国歌というものはシンボルだ。それらが象徴しているものは、国家。そして、今の国家を成しているのは、今の大人達。でもその大人達が生徒達の目の前で、そのシンボルの扱いを巡って騒動を引き起こしてきた。シンボルを高みに上らせようとして、逆にそのものの価値をおとしめているのだ、ということにも気付かずに。
 いっそ、国旗の居場所など子供達の手に任せてしまえばいい。子供達の肩や手にでも掲げられれば最高だろう。子供達にとってそれは壇上に飾って敬うべきモノ、では無い。今の大人たちがどうしたところで、結局はそのシンボルが象徴するモノの未来。それは間違いなく子供達の手中にあるのだ。一部の大人たちが固執する、壇上の高みにあるのではなく。

 外国人の国旗や国歌に対する敬意のはらい方を見ていると、時々思う。
 自国の国旗や国歌に敬意をはらうことができる国の人は、他国の国旗や国歌に対しても敬意をはらうことができるのだ。また、その逆も言える。自国の国旗や国歌に敬意をはらう習慣の無い国の人は、他国のそれらに対しても敬意をはらう事などできない。そうして、本人にはその意識など全く無いままに、礼を失してしまうことになる。
 また、自国の国旗・国歌に敬意をはらう事が習慣付いている国の人から見れば、それらが習慣付いていない国の人間がそれらに対して取る行動、それ自体がもの凄く奇異なものに映ってしまうだろう。
 自国の国旗や国歌に対する考え方は人によって千差万別だが、他国のそれと接する機会がありそうな人は、作法や常識としてこういう事も知っておいた方がいいと思う。こういう事。この国の学校では押し付けられることはあっても、学ぶ機会などありそうにないから。


■2003.03.03 月

 暇な釣り。以前「ひなまつり」と打って出したことがある誤字だ。キーボード入力方式が自分の場合「かな入力」なので、「な」と「ま」は隣同士。正確には「な」のひとつ下に「ま」があり、共に右手人差し指で打つ位置にある。非常にタイプミスしやすい位置だ。
 職場では1台のパソコンを複数人が共有している。現在のところその中で「かな入力」は自分ひとりだけ。他は皆「ローマ字入力」だ。なので、自分がそのパソコンを使う際には一度、入力モードを「ローマ字入力」から「かな入力」へ変更し、自分が使い終わった後には「ローマ字入力」に戻す、という、非常に面倒臭いことをしていた。なぜいちいち戻すのか。戻せない人がいるからだ。自分の後にパソコンを使って、パパパと文字を打ったら謎の呪文が画面に表示されて、「おわっつ!」と悲鳴を上げることになる。
 なので少し前から端末のモニターの枠のところに付箋紙で 『かな→ローマ字切り替え=Alt+かな』 と貼っていた。おかげで最近は「どーやって直すの?」と訊ねられる事も無くなり、心おきなく席を立てるようになった。
 たまに人の書いたものを読んでいて、日本語の文の中に混じってアルファベットの1文字が取り残されたりしているのを見ると、「ああ、ローマ字入力なんだな」と思う。
 そういえば。さきほど試して気付いたのだが、ローマ字入力で打っても「な」と「ま」…「N」と「M」は打ち間違いしやすそうな位置にあった。しかも、「N」と「M」、共に「な」「ま」と同じく右手人差し指の入力範囲だ。くにもちみちかなすに…おわっつ!


■2003.03.04 火

 帰り道、地吹雪のような強い風と共に、バラバラと音を立ててアラレが降っていた。それが横殴りにコートや頬にバチバチと当たる。アラレも落ちてくるだけなら何ともないのだが、強い風に乗って素肌に当たると結構痛い。肩をすくめて歩きながら、ふと思う。アラレといえば晩秋。真冬に降ることはまず無い。アラレは季節の変わり目を告げる雪なのだ。昨日までとは一変して、今日は真冬の景色に逆戻り。でも、心待ちにしよう。今年の春を。アラレが降っている。もうすぐた。
 そういえば今月は年度末なんだよな。人事上のことでずっと身辺がゴタゴタしていたので、そちらに気をとられていて、余り実感が無かった。何かが変わるようでもあり、何も変わらなさそうでもある。少なくとも今年の春に転勤、といった大きな変化は無さそうだ。
 でもまぁ、ひょっとしたら転勤という事態に備えて、心構えだけはできていた。いやもう「構える」といった大層な心持も無い。構えずとも、受け止められそうな気がする。それなりに場数を踏んできた、ということなのだろうか。
 春に大きな変化を迎える人も多いのだと思う。これまでとは何もかもが大きく違う、全くの新しい生活。そのような中に飛び込んでゆく際に、何が必要なのか。ひとつは「変わる」や「変える」という事。学んだり、慣れたり、適応したり。新しい生活が始まった際には、まずそれが重要だ。
 でも、それは間違い無い事なのだけれど、もうひとつ。それとは全く反対の事、全くの新しい環境の中に身を置いてもなお自分を「保つ」。どんな変化の中にあっても変えられない自分の部分を「保ち続ける」という事も、また重要なのだと思う。多くの人が春と共に向かえる大きな変化。それはまた、自分の「芯」が試される時でもある。
 自分が変わることばかり強要されるのは、フェアじゃない。変わることばかりが重要なのではない。どれだけその新しい環境に適応して上手くやっていけたとしても、そこで自分の芯を失ってしまったら、その変化にどれほどの意味があるといえるだろう。


■2003.03.07 金

 2泊の出張から帰宅。だが道路は雪に覆われた所も無く、日中の路面は乾燥していて快適ドライブだった。冬に丸2日も家を空けると、帰ってから雪にすっぽりと覆われた車を見てそれだけで疲れてしまう事が多い。今回も帰り道それを心配していたのだが、杞憂だった。不在間雪らしい雪は降らなかったようだ。それどころか反対に、出てきた時よりも雪の量が減ったような気がする。雪多い道北方面から帰ったばかり、だからだろうか。いや。
 上にもちらりと書いたが、昼過ぎに元の職場に戻ってもまだ身辺の人事がバタバタしていた。色々なところが色々と動く関係で、ひとり次年度のポストが決まらず宙に浮いている人物がいる。それを空白になっている自分の上司のポストに置いてはどうか、というもの。まぁその人物も知ってはいるし、やりやすそうな人間なので悪い話ではない。が、実際のところは現在自分がやっている仕事、2人もいらない。むしろ下が欲しいのだ。今の自分の立場からすると、自分の上に位置する人物に仕事を一から教えてゆくよりも、下を使いながら育てていった方がいい。というより、今以上上司が増えるのもちょっと。
 所要ついでにセクションを統括するボスにその事を話すと、「うーん」と唸って困った様子。他に適当な配置場所も無いらしい。でも、そこでふと何か思いついたようだ。「じゃあ、あいつオマエの所に置いてオマエ現場専属になるかぁ?」そう大声で言い、呵々と笑う。本業は事務なのだが現場との兼業続きのせいで、どうもこの職場では現場の人間と取られがちだ。
 ボスの部屋を出て隣接した事務所に入ると、そこで耳をそばだてていた連中が一斉にこちらを見て「いやー、いよいよ現場専門かい!」などと言う。こちらは「ご勘弁を…」なのだが、皆なんだか「面白そうな話聞いちゃった」という感じで嬉しそうだ。この時期、人事絡みの情報戦は熾烈である。ある人は我が身のため。ある人は話のネタのため。苦笑いしながら「…楽しそうっスね」とそう言うと、中のひとりが満面の笑みでこう答えた。「だって、ひとごとだもん」

 「ひとごと」と書いて「人事」。 これは名言だと思う。


■2003.03.08 土

 過去2、3年札幌を訪れていない人が今の札幌駅を見たら、驚くだろう。高さ道内一の駅ビルを併せ持つ、巨大なショッピングモール。それが今週オープンして、今日初の週末を迎える。きっと凄い人出だから、近付くのは止しておこう。
 図書館へ行って、借りていた3冊の本を返して2冊の本を借りる。貸出カウンターへ向かったのは、貸出業務終了時間の間際だった。人が何人か並んでいる。貸出業務は端末とバーコードなのでテキパキと進むはずなのに、なかなかその列が進まない。見ると貸出業務についている職員の手も、殆ど動いていない。ああそうか。オンラインだからだ。ここは市内に幾つかある市立図書館の分館のひとつだが、貸出業務を行う端末は各館や本館と全てオンラインで結ばれている。そして、今は貸出業務の終了間近。他の館でもこの館でも駆け込みの利用客が殺到しているのだろう。で、機械の処理が追いついていないのだ。
 そうして結構長い時間待たされて、貸出終了時間の4時45分ギリギリになってようやく本を借りることができた。でも、まだカウンターには貸出待ちの人が数人。貸出業務はまだ続きそうだ。これからはこの時間、避けるようにしよう。お互いのため。
 と、何だか混雑を避けることばかり考えていた1日。


■2003.03.10 月

 凍れた1日。朝に職場の入り口で出会った人が、今朝はマイナス12度だったと教えてくれる。街中は歩道が凄いことになっていた。摩擦係数ゼロの世界。氷は磨かれまるで鏡のような、犬すらも転ぶ歩道だった。
 そういえば、今冬はまだ転んでいない。ふとその事に気付いた。昨冬はこの時期までに2、3回は転んでいただろう。横断歩道の白線の上だとか、車を降りた途端だとかに。
 夕方の地方ニュースでは街中のこの状況が報じられ、カメラは見事に歩道の上で足を滑らせて転ぶ女性の姿を捉えていた。この瞬間をカメラは待ち続けていたのだろうか。それとも、それは偶然フレームの中に収まったもので、その部分だけを切り取って報じただけなのだろうか。それとも、ファインダーの中でその人が転んだのは、カメラマンの念力によるものだろうか。
 そのシーンの後、そんな事を思っていた。女性が転んでもその瞬間、カメラは微動だにしなかった。女性と共にフレームの枠に収まっていた男性は、自分の隣で転倒した女性に思わず手を差し伸べていたのだが。

 …と、余計なことを考え過ぎているかも知れない。止め。
 あれを撮ったのは固定カメラだったのかも知れないのだ。


■2003.03.11 火

 行き先だけを決めたら、後は成り行き任せ、というのがいい。ふらふらと歩いて、人に勧められたところに行って、興味をひかれたところには立ち寄って、気になるものには触れてみて、また次の目をひかれたところへと。そうして時には空振りしたり、一度通った道を引き返したり、今いるところが判らなくなってしまったり。まぁ、道に迷ってもそれでいいんだ。道に迷ったら飯でも食っていきましょう。そうして、夕暮れ過ぎたら宿を探して。
 北海道1周だって1週間かからずにやってのける人もいるのに、こちらは万事そんな感じなので、北海道内を概ね走破するのに5年もかかった。そんな長年の旅の相棒から夜に電話があって、話をしているうち「今年はどこに行こうか」という話題になった。

 道内で他に行ってないところあったっけ。ああ、あるある。利尻と天売、焼尻。でも島だしなぁ。あ、前に流氷見に行こうか言ってたけど、今が旬だぞ。 でもなぁ。この冬道オホーツクまで走る勇気ある? うーん、それはやだなぁ。
 見ようと思っていて見れなかったもの、ってまだ結構あるんじゃないか? ああ、野生の熊。野生のアザラシは見たよな。そういえば前に知床行ったすぐ後にさ、うちの親が同じところ行って。したっけ「熊いたさー」って、ビデオに撮ってきてたわ。ほら、知床大橋の上から。橋の下ホントに熊歩いてんの。親子で。 へー、凄げぇ凄げぇ。じゃあ、今年は知床リベンジにしますか。熊見に。 でも、知床は鹿ばかりだったしなぁ。あ、そういえば知床、「鹿珍しい」と言っている人の方が珍しかった。 あははぁ、そうだそうだ。

 と、そんな感じで知床になりそうな予感。そういえばまだ摩周湖も見たことがなかった。見られるかどうかは霧次第なのだが、方面は同じなので機会があればチャレンジしてみようと思う。成り行きでどうなるかは判らないとはいえ、この機を逃すと次はしばらく無いかも知れない。
 それにしても北海道とは広いものだ。見逃しているところが無数にある。28年間もこの地で暮らしてきたけれど、まだまだ見切れていない。今年は1年かけて、このスケールを叩き込んでおこうと思う。この先どこへ行くことになっても、これまで張り続けていた自分の中の「根っこ」は多分、この地に残り続けることになるのだろうから。


■2003.03.13 木

 もう木曜日なのか。今月は走っている。師走よりも年度末の方が、やはりどちらかというと走っている気がする。平日に限っては、だが。
 先週出張から帰った時には雪が減っていたのに、今日は正反対だった。1日家を空けた間に纏まった量の雪が降り積もっていた。積もったり消えたり。季節のせめぎ合いが目まぐるしい時期だ。ただ、今回の出張先は近場で同じような天気だったので、その雪にもさほど驚きはしない。
 職場で来年度の人事がほぼ確定した。転勤対象者のリストの中に名前は無し。あと1年はここに留まることになる。ほぼ確信はしていたのだが、結果はどうであれ、これでようやく気分的には落ち着けそうだ。
 でも、今になってふと思う。自分は本当はどちらを望んでいたのだろう。今年状況が変わることか。今年は留まることか。これがこの地での最後の冬になるかも知れないなどと、本気で思ったことがあっただろうか。あったとも言えないし、無かったとも言えない。ただ、そういう事は考えないようにしていただけのような気がする。
 昨年夏に下したひとつの決断は、その後の自分の何かを確かに変えた。その後の自分は流れていた。ただその流れに身をゆだねていた。流される、という言葉や生き方を否定的に、敏感に捉える人も多いのかも知れない。自分にもそういう時期があったと思う。周りがどのように流れようが、常に自分は自分の足で歩くべきなのだと。でも、今はそんな気負いも無く。やがてこの流れは流れ着くべきところ、次の別の世界へと自分を押し流してゆくのだろう。情勢という名の突然の奔流に、出会ったりさえしなければ。
 流れの隋に流されている、そういう自分がこう言うのも可笑しいが、他の流れには翻弄されたく無い。流されるは流されるでも、それはどの流れでもいい、というわけでは無く、今の流れがいいのだ。それは何故か。確かに今は流れの隋に流されている自分。でも、今乗っているこの流れは、自分で選択した流れだからだ。
 乗るべき流れを自分で決めたら、後は流されてもいいのだと、最近はそう思う。淵もあり瀬もあり、速くなったり緩くなったりする事もあるだろう。でも、その流れと、流れの行く先さえしっかり見据ているなら、流される事にも不安は無い。
 必要なのはしっかりと流れることだ。あとはただ、昨夏の自分の選択眼に誤りの無い事を。その点は自分を信じて。


■2003.03.14 金

 人からどう思われているか、という事については、まぁ周りの人と比べるとあまり深くは考えていない方、なのだろう。でも、自分がある物事についてどういった考えを持っているのか、それをどう思っているのか、というような事について、人から色々と推測ばかりされるのはちょっと苦手だ。そういう事については、訊いて欲しいと思う。そうしないと推測ばかりがどんどん悪い方へ違う方へと進んでしまいそうで、その事には耐えられそうにない。
 もし訊かれたなら、どんな形であれ答えるだろう。自分の考えや思っている事をそのまま正確に答えられるかどうか、その事は判らないが、今の時点で自分が行き着いているそれらを、下手でも伝えられるように精一杯努力する。
 ある人の中で自分のイメージができあがる。それぞれの人の中に、それぞれ違ったイメージの自分がいる。それは素敵なことだと思う。けれど、それはやはり自分とは離れたところに存在しているものだ。そうした自分がどんな発言をし、どんな行動に出ても、ここにいる自分はそれに対して何もできない。促すことも、歯止めをかけることも。
 そう。自分に歯止めがきかなくなる。怖れているのはその事なのだ。それが例え他人の中の自分であっても。…いや、他人の中の自分、だからこそ。

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